久留米藩と柳河藩の境界はどこ?

2014年03月06日 00:00

久留米藩と柳川藩の境界は何処なのか?
答えは矢部川です。でもそれは矢部川の中流域の話で、下流域は大川市の真ん中あたりになります。

じゃあ今の地図に線を引くとなるとかなり難しいです。
大川市は昭和29年(1954年)三潴郡内の大川町・川口村・大野島村・田口村・木室村・三又村が合併して誕生しました。
大川市の明治の大合併時の状況が下の表です。

黄色が柳川藩領、青が久留米藩領

榎津町

大川町

酒見村

小保町

向島

鐘江(字溝越の内を除く)

三又村

下林

中古賀

諸富

下青木(字沖田他7字)

西青木(字沖田)

酒見(字袋野)

道海嶋

上白垣

木室村

中八院

下白垣

下八院

本木室

下木佐木

中木室

下牟田口

荻島

大橋村

上巻

田口村

北古賀

三丸村

鬼古賀

郷原

坂井

幡保

大野島村

大野島村

 

柳川市も明治22年(1889年)に山門郡の柳河町・東宮永村・西宮永村・城内村・沖端村・両開村・川北村・川辺村・宮ノ内村・垂見村・塩塚村・鷹尾村・有明村、三潴郡の浜武村・久間田村・蒲池村が合併し柳河町が誕生しています。

そのうち、三潴郡蒲池村は、下の表の村が合併して成立しています。

黄色が柳川藩領、青が久留米藩領。

矢加部

蒲池村

立石

金納

高島

蒲生

東蒲池

西蒲池

ということで、現在の柳川市にも久留米藩領があり、線引きは難しく、字名で判断するしかないと思います。